2011-01-23

起き抜けに冷めたお茶を飲みながら目をやったTVには蓮があった。
眼前の仕事は山積しているのだけれど、眼が離せない。
この先の仕事に関係するモチーフだからと、急く自分の心をなだめて、番組に集中する。
NHK教育の「新日曜美術館」。
仕事が積んでいなければ、欠かさない数少ないTVのプログラム。
今朝は日本画家・小泉淳作が描いた東大寺本坊襖絵の完成記念展示会にちなんだ企画で、
5年を要した40面の障壁画の制作過程を中心にその作品を伝えるもの。

絵自体は日本画と言う枠の中に内省的に収斂されたものだけれど、
その内省の過程が、ここまで雄々しく生々しい精神ベクトルをもって臨んでいる様は
まさにレポートとしてのこの番組でなければ
凡庸な僕には気がつかないもの。
米寿も近い老画家から紡ぎだされる、
描くという向き合い方からの世界に存在する事物へのまなざしは
示唆にあふれ、かつ深く肯けるものばかりだった。



1面に収まる蓮の花々に移ろう時間と重ねて、
蕾からハチノスになっていく中でどの瞬間も艶と生き様を描きこむ。
絵への落とし込みで省略はしてしまうけれどと、
省略には心が必要と桜花の端正なデッサンを試みて自分の中に生きる形を刻む姿。
連なる山並に神威にも近い無意のデザイン性を見出す即興性。
そして何より、納得を高めていくために物怖じしない作品への厳しい姿勢。

絵は○○の描き方なんて型で出来上がるものじゃない。
ほんとうの物とその魂に自分の心で触れないとだめなんだ。
そんな当たり前のことを、当たり前にしていかないと。
家にこもってばかりの自分は今ちょっと落第だな。
昔に旅先で沢山描いたスケッチや、沢山感じた音や匂いや色や光の
おすそ分けでやっと立っている感じだ。

東京圏での公開はもう昨年秋に済んでしまっていて、
今は関西へとその展示場所を移してしまっているので、
おそらく実物を見る機会はないと思うけれど、この作品と作者を知って良かった。
自分がこの先に向かい合う蓮を描くということと、
漫画ではあっても絵を生業にしているということの中で、
忘れずにいたい。


番組は1月30日20時から、NHK教育で再放送の予定。

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